スターホテル郡山 公式ブログ

郡山インターから約10分!会津~猪苗代湖の観光の拠点に最適なホテル

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スターホテル郡山のブログ


磐越西線

皆様 こんにちは。
この度はとある電車、路線をご紹介したいと思います。
それは磐越西線(ばんえつさいせん)です
磐越西線は、福島県郡山市の郡山駅から会津若松駅を経由して新潟県新潟市秋葉区の新津駅までを結ぶ路線です。
この路線には可愛らしい赤べこがペイントされている通称「あかべこ号」なる電車が運行しています。真っ赤なボディの物2つと銀色のボディの物と3種類ほどが運行しているようです。
200px-JNR_485_Aizu_2006.jpg
また沿線沿いには磐梯熱海温泉、猪苗代湖、磐梯山などあり美しい景色が楽しめます。
SLばん~1.JPG
それと週末には「SLばんえつ物語」という蒸気機関車が運行しており、これにも是非乗車して福島を楽しんで頂ければと思います
宿泊部 宗形

鶴ヶ城の歴史3(近現代)

皆さんこんにちは。
今回は鶴ヶ城の歴史(近現代)を書きたいと思います。
近現代
開城から天守の取壊しまでの歴史
1868年(明治元年)9月に開城すると新政府軍の手に渡され、翌年から兵部省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。
1869年(明治2年)、若松県庁が本丸内の建物に置かれたため、若松県が管理を委任されていた。
1872年(明治5年)に、パリ外国宣教会のマラン神父とスイス人で横浜居留地で生糸輸出商を営み、デンマーク領事も兼ねていたエドゥアール・ド・バヴィエらが、養蚕視察のため函館から横浜まで旅行をし、若松城に立ち寄った。
その時、バヴィエらに雇われ、旅行に同行した日本人写真師が撮影したのが、今に残る取り壊し前の若松城の古写真の一部である。
WAKAMATU TORI.png
この旅行記は『函館から横浜までの旅』として、フランス語で出版され、若松城の銅版画が挿絵のひとつとして使われた。
マラン神父らによる東北地方の旅行は、1878年(明治11年)のイザベラ・バードによる『日本奥地紀行』の6年前のことである。
1873年(明治6年)1月、明治政府による『全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方』により存城処分と決定された。
同年12月には『旧若松城廃毀之儀ニ付建言』により若松県権令沢簡徳から政府に城郭建造物の取壊しが建言された。
1874年(明治7年)1月には、「旧若松城は営所建築の場所であるので、石垣や立樹等を除き旧来の建物で必要無いものは取壊し払下げすべく取り計らう事」とされ、同年までに天守をはじめとする建造物は総て解体された。
本丸にあった櫓の一つである「御三階」は上記建言以前の1870年(明治3年)、阿弥陀寺(会津若松市七日町)に移築され、現存している。
本丸の大書院の唐破風の表玄関は、御三階と共に阿弥陀寺に移築され、御三階の玄関に利用されている。
城郭地の払下から史跡指定まで
1890年(明治23年)明治政府により、城地約29haが明治政府から松平家に払い下げされた。
1908年(明治41年)に三ノ丸の東側と城外にわたり陸軍の連隊練兵場が設置され、三ノ丸の一部とその濠や土塁約6haが撤去されたが、本丸、二ノ丸、三ノ丸の一部、北出丸、西出丸及び付属する濠は残され、現在の史跡指定部分約23haは保存された。
1917年(大正6年)には、若松市の依頼により、旧会津藩士(白虎隊士)である東京帝国大学総長の山川健次郎の紹介で東京帝国大学農科大学教授の本多静六によって「若松公園設計方針」が示され、城跡の近代公園化の方針が計画された。
1927年(昭和2年)までには城跡の所有者であった旧藩主の松平家との10年賦による土地譲渡契約の償還が終了し若松市の所有となった。
公園近代化の方針に基づき二ノ丸や西出丸の一部の石垣等が撤去されたことにより、城跡の緊急保存を目的として、1930年(昭和5年)に旧史蹟名勝天然紀念物保存法の規定により福島県によって国の史跡に仮指定され、1934年(昭和9年)12月28日には文部省告示第312号によって本指定された。
この「若松公園設計方針」では、後に史跡区域内となった、旧追手前から北出丸までの追手前西濠上への架橋や水位の異なる南町通濠と旧五軒丁濠との間の土橋を撤去しボートレース場とする計画も示されたが、実行されなかった。
天守の再建と史跡の保存整備計画
第二次世界大戦後、戦後の財政非常事態解決策の一環として、本丸内で競輪場が設置されていたこともあるが1957年(昭和32年)には城外に移転された。
本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧された。
現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。
1990年(平成2年)に茶室「麟閣」(福島県指定重要文化財)が本丸の元の場所に移築復元され、1993年(平成5年)に外濠跡等の外郭遺構の一部が国の史跡に追加指定された。
1997年(平成9年)に史跡内の駐車場や運動施設等を史跡外へ移転する内容等を含む長期的、総合的な「史跡若松城跡総合整備計画」が策定された。
2001年(平成13年)に本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋が復元された。
天守閣.jpg
これで3部構成の鶴ヶ城の歴史は終わりになります。
皆さんも鶴ヶ城に行き、歴史を学んでみてはいかがでしょうか。
宿泊部 佐藤(友)

サマーフェスタ IN KORIYAMA 2013

みなさんこんにちは。
暑い日々が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、今年もやって参りました
サマーフェスタ IN KORIYAMA 2013 ビール祭り!!
世界規模で開催されるドイツの収穫祭「オクトーバーフェスト」の郡山版が今年も開催されます。
国内最大のビアガーデンを設け、駄菓子屋射的を楽しむ縁日コーナー、ドイツバンドの演奏や郷土芸能などのステージイベント、郡山名産のおいしい食べ物に遊具コーナーなど、大人だけではなく子供も楽しめるイベントが盛りだくさんとなっています!
前売り券での入場者に限り、毎日先着200名様にオリジナルグラスのプレゼントもあるそうです!
是非足を運んでみてはいかがでしょうか。
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【場所】郡山市開成山公園 自由広場(当ホテルから徒歩約10分)
【日時】2013年7月24(水)?28日(金)17時?21時
    ※27日(土)・28日(日)は14時?21時
【料金】前売り券:2,000円
    当日券:2,500円
    ※入場料・ビール引換券(2枚)・金券(1,000円分)
    ※高校生以下入場料無料
【同時開催イベント】縁日ふれあい広場/楽しいステージショー/こどもランド
宿泊部 森

鶴ヶ城の歴史2(近世)

皆さんこんにちは。
前回は鶴ヶ城の中世の歴史を紹介しましたが、今回は鶴ヶ城の近世の歴史を紹介したいと思います。
 鶴ヶ城 ライトアップ.jpg
近世の城郭
代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年(文禄元年)より大大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。
氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。
なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。
1593年(文禄2年)、望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。
近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している。
1598年(慶長3年)、氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。
越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。1600年(慶長5年)、徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。
翌1601年(慶長6年)には蒲生秀行が再び入城したが、1627年(寛永4年)、嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。
代わって伊予松山より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。
1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。
戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
次回は鶴ヶ城の近現代の歴史を紹介します。
宿泊部 佐藤(友)

楽天対ソフトバンク戦(開成山野球場)

みなさんこんにちは
今年も6月21日に開成山球場でプロ野球の試合が行われました。
以前は球場の大きさ等に問題があり、なかなか行う事が出来ませんでしたが、
2010年にリニューアルを行い、それ以降は度々試合が開催されています。
今回の対戦カードは東北楽天ゴールデンイーグルス対福岡ソフトバンクホークスです。
野球写真02.png
主催は福島民報社、テレビユー福島、楽天野球団で行われ、試合は楽天の則本昂大投手、ソフトバンクの摂津正投手が先発。楽天は二回表に2点を先制されると、中盤以降も小刻みに追加点を許し、リードを広げられてしまい、気付いた時には 楽天が2?13で大敗を喫っしていました。 
ユニフォーム.png
また、会場は約1万1千人が来場し、全員に楽天のレプリカユニホームが配られました。選手と同じ常盤(ときわ)色のユニホームで応援席を埋めた観客は4時間を超える試合にも大声援で後押し。球場は復興に向け、緑一色となっていました。
宿泊部 橋本

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