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鶴ヶ城の歴史3(近現代)
皆さんこんにちは。
今回は鶴ヶ城の歴史(近現代)を書きたいと思います。
近現代
開城から天守の取壊しまでの歴史
1868年(明治元年)9月に開城すると新政府軍の手に渡され、翌年から兵部省の所管となり、後に仙台鎮台が管理した。
1869年(明治2年)、若松県庁が本丸内の建物に置かれたため、若松県が管理を委任されていた。
1872年(明治5年)に、パリ外国宣教会のマラン神父とスイス人で横浜居留地で生糸輸出商を営み、デンマーク領事も兼ねていたエドゥアール・ド・バヴィエらが、養蚕視察のため函館から横浜まで旅行をし、若松城に立ち寄った。
その時、バヴィエらに雇われ、旅行に同行した日本人写真師が撮影したのが、今に残る取り壊し前の若松城の古写真の一部である。
この旅行記は『函館から横浜までの旅』として、フランス語で出版され、若松城の銅版画が挿絵のひとつとして使われた。
マラン神父らによる東北地方の旅行は、1878年(明治11年)のイザベラ・バードによる『日本奥地紀行』の6年前のことである。
1873年(明治6年)1月、明治政府による『全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方』により存城処分と決定された。
同年12月には『旧若松城廃毀之儀ニ付建言』により若松県権令沢簡徳から政府に城郭建造物の取壊しが建言された。
1874年(明治7年)1月には、「旧若松城は営所建築の場所であるので、石垣や立樹等を除き旧来の建物で必要無いものは取壊し払下げすべく取り計らう事」とされ、同年までに天守をはじめとする建造物は総て解体された。
本丸にあった櫓の一つである「御三階」は上記建言以前の1870年(明治3年)、阿弥陀寺(会津若松市七日町)に移築され、現存している。
本丸の大書院の唐破風の表玄関は、御三階と共に阿弥陀寺に移築され、御三階の玄関に利用されている。
城郭地の払下から史跡指定まで
1890年(明治23年)明治政府により、城地約29haが明治政府から松平家に払い下げされた。
1908年(明治41年)に三ノ丸の東側と城外にわたり陸軍の連隊練兵場が設置され、三ノ丸の一部とその濠や土塁約6haが撤去されたが、本丸、二ノ丸、三ノ丸の一部、北出丸、西出丸及び付属する濠は残され、現在の史跡指定部分約23haは保存された。
1917年(大正6年)には、若松市の依頼により、旧会津藩士(白虎隊士)である東京帝国大学総長の山川健次郎の紹介で東京帝国大学農科大学教授の本多静六によって「若松公園設計方針」が示され、城跡の近代公園化の方針が計画された。
1927年(昭和2年)までには城跡の所有者であった旧藩主の松平家との10年賦による土地譲渡契約の償還が終了し若松市の所有となった。
公園近代化の方針に基づき二ノ丸や西出丸の一部の石垣等が撤去されたことにより、城跡の緊急保存を目的として、1930年(昭和5年)に旧史蹟名勝天然紀念物保存法の規定により福島県によって国の史跡に仮指定され、1934年(昭和9年)12月28日には文部省告示第312号によって本指定された。
この「若松公園設計方針」では、後に史跡区域内となった、旧追手前から北出丸までの追手前西濠上への架橋や水位の異なる南町通濠と旧五軒丁濠との間の土橋を撤去しボートレース場とする計画も示されたが、実行されなかった。
天守の再建と史跡の保存整備計画
第二次世界大戦後、戦後の財政非常事態解決策の一環として、本丸内で競輪場が設置されていたこともあるが1957年(昭和32年)には城外に移転された。
本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧された。
現在の天守は1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。
1990年(平成2年)に茶室「麟閣」(福島県指定重要文化財)が本丸の元の場所に移築復元され、1993年(平成5年)に外濠跡等の外郭遺構の一部が国の史跡に追加指定された。
1997年(平成9年)に史跡内の駐車場や運動施設等を史跡外へ移転する内容等を含む長期的、総合的な「史跡若松城跡総合整備計画」が策定された。
2001年(平成13年)に本丸内の干飯櫓(ほしいやぐら)と南走長屋が復元された。
これで3部構成の鶴ヶ城の歴史は終わりになります。
皆さんも鶴ヶ城に行き、歴史を学んでみてはいかがでしょうか。
宿泊部 佐藤(友)
鶴ヶ城の歴史2(近世)
皆さんこんにちは。
前回は鶴ヶ城の中世の歴史を紹介しましたが、今回は鶴ヶ城の近世の歴史を紹介したいと思います。
近世の城郭
代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年(文禄元年)より大大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。
氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。
なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。
1593年(文禄2年)、望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。
近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している。
1598年(慶長3年)、氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。
越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。1600年(慶長5年)、徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。
翌1601年(慶長6年)には蒲生秀行が再び入城したが、1627年(寛永4年)、嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。
代わって伊予松山より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。
1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。
戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
次回は鶴ヶ城の近現代の歴史を紹介します。
宿泊部 佐藤(友)
鶴ヶ城の歴史1(中世)
皆さんこんにちは。
今回は会津若松市にある鶴ヶ城の歴史について、まず中世について紹介したいと思います。
全3部作になりますのでよろしくおねがいします。
地元では一般的に鶴ヶ城といい、地元以外では会津若松城と呼ばれることも多いです。
文献史上では黒川城、会津城とされることもあるみたいです。
国の史跡としては、若松城跡の名称で指定されている。
?中世の館、城郭の時代?
1384年、蘆名氏7代当主の蘆名直盛が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。
諸説あるが、おそくとも15世紀半ばまでには黒川城(または小高木城)、とその城下が成立していた。
以後、代々蘆名氏の城であった。
戦国時代中後期には、蘆名氏中興の祖・盛氏が出て、黒川城を中心に広大な版図を築いた。
1589年、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。
しかし、政宗は1590年に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。
次回、鶴ヶ城の歴史(近世)を書いていきたいと思います。
宿泊部 佐藤(友)
皆様こんにちは。
NHK大河ドラマ「八重の桜」で、脚光を浴びている新島八重子さん、今福島でもっとも知名度の高い人物ではないでしょうか。幕末から昭和初期という波乱の時代を生き、若松城籠城戦で自らもスペンサー銃と刀を持って奮戦したり、また、茶道や華道に精通していたりと何とも行動力のある方で、「ハンサムウーマン」称される程の人物です。
なんとそんな新島八重子さんがゆるキャラに!!
その名も八重たん
幕末の世を戦い抜いたとは思えないほどの愛らしい見た目の八重たんは色々なグッズとなって福島県内のお土産屋さんなどで販売されています。
福島にお越しの際にはお土産に八重たんグッズを求めてみてはいかがでしょうか。
宿泊部 宗形
5月21日は金環日食!
みなさんこんにちは!
2012年5月21日の朝、日本全域を含む広い範囲で「金環日食」が観測できます!
この日食は、午前6時すぎに始まり、午前9時すぎに終わるそうです。
日本での金環日食は1987年に沖縄で見られて以来25年ぶりだそうで、次に見られるのは2030年(北海道)でまたとないチャンスです!
福島県では太陽がリング状につながる「金環日食」と、三日月状に欠ける「部分日食」と地域によって見え方が違うようです。
郡山市は市役所付近をはじめ、市内の一部で金環日食になります。
市役所付近での最大食は朝7時38分12秒頃。
金環食継続時間は1分08秒程度。
リングの均等度度合いは2.5%前後と、かなり偏ったリングになることが予想されています。
次に見られるのは18年後北海道です。
私も早起きして金環日食を楽しみたいと思います!
皆様も是非ご自宅から見てみてはいかがでしょうか?
なお、太陽を直接見ることは短い時間であっても大変危険ですので、日食を見る際には安全な観察方法を確認してお楽しみ下さいませ。
宿泊部 森