「2014年03月」の記事一覧
大内宿について
皆さんこんにちは。
今回は福島県の下郷町にある大内宿についてお伝えしたいと思います。
。
大内宿の由来
大内宿は、会津城下と下野の国(日光今市)を結ぶ32里の区間の中で会津から2番目の宿駅として1640年ごろに整備された宿場町です。
南山通り・下野街道・日光街道・会津西街道とも呼ばれ、会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送と、当時会津藩と友好関係にあった米沢藩・新発田藩なども頻繁に利用した重要路線でした。
また、以前の記録では天正18年(1590年)伊達政宗の小田原参陣、同年の豊臣秀吉の奥羽仕置きに当宿場を通行した記録があります。
更に遡って山本村から大内と改められた経緯は、後白河天皇第3皇子の(第2王子) 高倉以仁王(たかくら もちひとおう)は、平家物語では1180年源頼政の勧めで平家を倒すため令旨を発し、兵を挙げたが宇治平等院での戦いで敗れ、渡部唱等と越後国小国の頼之を頼って逃亡した。
その途中、当時の山本村(現在の大内宿)に逗留され「高峰の風吹き戻す山本にこころとどめし道しるべして」と詠い、この里が宮中の大内(だいり)によく似ているため大内と改めたといわれる。
ねぎそばについて
別名、高遠そばの名で知られており、箸の代わりにネギを用いて蕎麦を食べる風習がある。
一本のネギを使いながら食べるので、蕎麦を食べるのに苦労しました。
サイダー
大内宿を通っている川の中ではサイダーが販売されていてびっくりしました。
お土産について
木彫りの食器やブリキの玩具などが販売されてました。
記念に木彫りのスプーンを購入しました。
紅葉シーズンの混雑
今回私が訪れた日には混雑はなかったのですが、紅葉シーズン等の時期には、車で行くと渋滞になるらしいので、観光シーズンを避けて訪れた方がいいのではないかと思いました。
皆さんも大内宿を訪れてネギそばを食べてみてはいかがでしょうか。
宿泊部 佐藤(友)