「2013年06月」の記事一覧
鶴ヶ城の歴史2(近世)
皆さんこんにちは。
前回は鶴ヶ城の中世の歴史を紹介しましたが、今回は鶴ヶ城の近世の歴史を紹介したいと思います。
近世の城郭
代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷で、1592年(文禄元年)より大大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備した。
氏郷は、町の名を黒川から「若松」へと改め、蒲生群流の縄張りによる城作りを行った。
なお「若松」の名は、出身地の日野城(中野城)に近い馬見岡綿向神社(現在の滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社、蒲生氏の氏神)の参道周辺にあった「若松の杜」に由来し、同じく領土であった松坂の「松」という一文字もこの松に由来すると言われている。
1593年(文禄2年)、望楼型7重(5重5階地下2階とも、また7重には「何段にも重なる」の意味もある)の天守が竣工し、名は「鶴ヶ城」に改められた。
近年の発掘調査で蒲生時代の石垣の基底部が確認され、鐙瓦(軒丸瓦)、宇瓦(軒平瓦)、鬼瓦の一部に金箔が貼られたものが出土している。
1598年(慶長3年)、氏郷の子・秀行は家中騒動のために92万石から18万石に下げられ下野国宇都宮に移封された。
越後国春日山より上杉景勝が120万石で入封。1600年(慶長5年)、徳川家康は関ヶ原の戦いで西軍に加担した景勝を30万石に下げ、出羽国米沢に移封した。
翌1601年(慶長6年)には蒲生秀行が再び入城したが、1627年(寛永4年)、嫡男の忠郷に嗣子がなく没したため、秀行の次男・忠知が後嗣となり伊予国松山に移封された。
代わって伊予松山より加藤嘉明が入封。子の明成は西出丸、北出丸などの造築を行い、1611年(慶長16年)に起きた会津地震により倒壊した天守を今日見られる層塔型天守に組みなおさせている。
1643年(寛永20年)、加藤明成は改易され、出羽国山形より3代将軍徳川家光の庶弟である保科正之が23万石で入封。以後、明治維新まで会津松平家(保科氏から改名)の居城となった。
1868年(慶応4年)、戊辰戦争の際には会津戦争にて、会津勢の立て篭もる若松城は1か月の間持ちこたえ、板垣退助勢に、薩摩の援軍の助けをかりても遂に城は落ちなかったが、その後開城された。
戦後、天守を含む多くの建造物の傷みは激しく、その後も放置されたまま破却を迎えている。
次回は鶴ヶ城の近現代の歴史を紹介します。
宿泊部 佐藤(友)
楽天対ソフトバンク戦(開成山野球場)
みなさんこんにちは
今年も6月21日に開成山球場でプロ野球の試合が行われました。
以前は球場の大きさ等に問題があり、なかなか行う事が出来ませんでしたが、
2010年にリニューアルを行い、それ以降は度々試合が開催されています。
今回の対戦カードは東北楽天ゴールデンイーグルス対福岡ソフトバンクホークスです。
主催は福島民報社、テレビユー福島、楽天野球団で行われ、試合は楽天の則本昂大投手、ソフトバンクの摂津正投手が先発。楽天は二回表に2点を先制されると、中盤以降も小刻みに追加点を許し、リードを広げられてしまい、気付いた時には 楽天が2?13で大敗を喫っしていました。
また、会場は約1万1千人が来場し、全員に楽天のレプリカユニホームが配られました。選手と同じ常盤(ときわ)色のユニホームで応援席を埋めた観客は4時間を超える試合にも大声援で後押し。球場は復興に向け、緑一色となっていました。
宿泊部 橋本
ふくしまフェスティバルin郡山2013
皆さんこんにちは!
空梅雨を思わせる天候が続いておりますが、体調をくずされてはおりませんか?
今回は6月1日に郡山市で行われました「ふくしまフェスティバルin郡山2013」についてご紹介したいと思います。
東日本大震災と東京電力福島第一原発事故からの復興を願い、全国のお祭りと踊りの団体が共演するパレードが郡山市の開成山陸上競技場入口からザ・モール郡山までのさくら通り約1キロで行われました。
県内の3団体と全国18団体がパフォーマンスを披露し県民を元気づけ、沿道には県内外から約20万人の見物客が詰め掛け、お祭りムード一色に染まりました。
中でもミッキーマウスの「東京ディズニーリゾート30周年スペシャルパレード」が子供たちの人気を集めました。(千葉県)
他にも武者絵の山車が繰り出した「弘前ねぷた祭り」(青森県)
ヘリウムガス入りの「昇天竜」が宙を舞う「さいたま竜神まつり会」(埼玉県)
大蛇の山車が練り歩いた「大牟田大蛇山」(福岡県)
などが観衆を沸かせました!
このお祭りは既に終わってしまいましたが、
7月24日?28日にサマーフェスタin郡山(ビール祭り)が開催されます!
ドイツの軽快な音楽とビールが楽しめる、ドイツのお祭り郡山版です!
是非参加してみて下さい!
宿泊部 遠藤